岐高「木造校舎(昭和20年〜30年代)」の巻き

  戦災で本館・講堂の鉄筋コンクリート部と理科教室等を残して焼失した校舎の復興は、
  昭和22年(1947年)から当時の伊藤校長を始めととする関係者の尽力と、同窓会
  父兄会等の強力な支援を受けて開始されました。
  
  又、学制改革の激動の中で、昭和23年(1948年)には旧岐中・旧岐高女が合併し
  岐高(岐阜高等学校)として誕生しました。

  校舎は5期に及ぶ工事を経て昭和28年(1953年)に岐中時代に相当する規模で
  全体が完成しました。物資窮乏の時代でしたが、木造の本館や焼け残った理科教室
  は、暖かな雰囲気を醸していました。
  校舎完成の年は創立85周年に当り、生徒の発案と熱意で創立記念に御輿10数台
  を自作して町に繰り出し、司町の県庁前で集結して気勢を上げたり、市電を止めて
  柳ケ瀬通りを練り歩いたりした事も記録にあります。
  そんな躍動する生徒達をこの木造校舎は「大縄場の地」で、岐中時代からの伝統を
  受け継ぎながら、静に見守っていてくれたのでしょう。

  その後、時代は高度成長期に入り、経済復興と共に校舎新築の気運が生まれ、約
  20年間で「木造校舎」はその使命を終え、昭和40年(1965年)には姿を消しました。
                               
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全景



本館(玄関)



本館(北側)



理科教室



実験室



玄関(創立80年記念)



戦果



校旗

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