明治5年新橋横浜間鉄道開通

明治6年第一銀行(みずほ銀行)開業

時は鹿鳴館時代

明治6年頃の東京銀座の様子

明治時代の岐阜中学京町校舎正門

明治時代の岐中生。「国家のために明け暮れ学ぶ」という気概が伝わってくる

治23年帝国議会開会。岐高の歴史は国会より古い

明治24年濃尾大震災。岐中校舎は倒壊。写真は崩落した長良橋

明治36年岐高女開校。当時の校舎は西野町にあった

治43年岐阜城再建

大正時代の岐阜市内。(今小町あたり)

昭和13年大縄場の地に岐阜中学移転

昭和10年頃の柳ケ瀬

昭和初期の柳ケ瀬の地図(S25卒佐竹幸夫さん提供)

昭和初期の柳ケ瀬の地図

岐中の軍事教練(昭和7年)

学徒出陣を見送る岐中生(昭和18年)

昭和20年岐阜市大空襲。写真は徹明町。焼け残っているのは十六銀行

岐中も被爆、校舎は焼失した。写真は空襲直後の米軍機から撮

昭和23年岐阜中学校、岐阜高等女学校を統合し岐阜県立岐阜高等学校発足

昭和20年代の岐阜駅前。神田町方面から岐阜駅を望む。駅前ビルはまだない

昭和24年夏の甲子園全国高校野球で岐高は決勝進出するも、準優勝に終わる。相手は湘南高校

昭和28年、空襲直後数度の修復を経て木造校舎が完成

昭和41年、新校舎が完成

昭和43年林間学舎 山の家完成 (奥飛騨)

長良川堤防から校舎を望む

校歌碑



2011年 新校舎

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絵で見る 岐高の140年
大政奉還からわずか6年、ペリー来訪からも20年後の明治6年(1873年)、明治維新のさなかに岐阜中学は創設された。新時代の国家・社会を担う若者たちの育成が、全国に先駆けて岐阜の地から始まったのである。
途中、震災と戦火による校舎の焼失を2度経験しながら、140年の歳月を紡いできた岐阜高校の歴史こそが百折不撓の精神を今に伝える。
(130周年の2003年掲載、2013年更新) ※写真をクリックすると拡大します。